農業への夢と挫折
太田和慶さんは山形県山形市の出身。ここ南三陸には、2022年7月に地域おこし協力隊がきっかけで移住した若手の農業家さんです。学生の頃は数学の教師を目指し、地元山形大学の理学部数学科に進学しましたが…。
― 数学の教師を夢みた太田さんは、いつ・何をきっかけに農業に関心を持つようになったんですか?
大学の教養科目の講義で、地元の農家さんに会う機会があったんです。そこで色々な農家さんに会っていくうちに、食を支えているはずの農業が抱える社会課題を感じるようになって、それで興味を持つようになりました。在学中、20歳には農業の道へ進むことを決意してましたね。もともと教師を目指して進学しましたけど、卒業後は大規模な農業経営で知られる長野県の農業法人に就職しました。
― 迷いなく、農業に道に進まれたんですね。そして、農業をしっかりビジネスとして学べる環境にまずは身を置いて…。
でも、当時の自分には農業に対する覚悟が足りなかったというか…。大規模農業の場合、大量の農薬散布が必要で周辺が霧になるくらい撒くんです。土壌にも大きな負荷をかけるので、作物もよく病気になってました。でも、そうやって効率性を追求することで農業が事業として成り立っている側面もあり…。一緒に就職した仲間たちは、農業で食べていくことを志した人たちだったんですけど、自分の思い描く農業とはかけ離れていました。それで農業に対する向き合い方にギャップを感じて退職してしまいました。
― 農業をビジネスにすることの難しさを経験したわけですね。そこを退職したあとは、どのような農業の道へ?
次に選んだのは、山形県船形町で取り組んだ地域支援型農業でした。地元の作物を東京の都市部に住む消費者へ届けるお仕事です。東京都港区のお客様などのいわゆる富裕層の方々に販売していました。
でも、実際は距離が離れれば離れるだけ価値が伝わりづらいなと思うこともありました。なぜ船形町のこの野菜でなければいけないのか?というのを、消費者へ伝えることが難しくて。
消費者の求める野菜を揃えればいいと思い、農家さんには不揃いな野菜を規格通りに集めるようにお願いしたら、今度はその分の手間が農家さんに増えてしまったり。最初は理解をもらうのにも一苦労しましたね。ここではプロダクトアウトの販売の難しさを痛感しました。
その後、縁あって舟形町の地域おこし協力隊として農産物・水産物の加工場を任されるプロジェクトに携わることになりました。
そこでは、製造から販売、経営までを任され、鮎の加工品、地元野菜の漬物、果物を使った菓子製造などを手掛けていました。そこでの仕事はとてもやりがいがありましたね。お客様の求める売れる商品を、自分たちで企画し、生産者から仕入れ、それを加工して販売していました。需要があれば、こういったものを作れないかと生産者に相談したり、経営の数字のところも任されたり、思うように自分のやりたいことができました。でも事情があって、1年半しか携われずに終わってしまいましたけど。でも、お客様が求める商品づくりができて、頑張った分売り上げもついてきて、とてもやりがいを感じた、楽しい期間でした。
― そのやりがいと楽しさはよくわかります。わたしも(SEASONで)、生産者の生産物を扱いながら、加工して、お客様に喜んで買ってもらうプロセスにとてもやりがいを感じます。でも、太田さんはやりがいのある職場をやめることになってしまったんですね。
そうなんです。事情があって船形町の公務員として、役場に就職することになりました。
配属先は、畑違いとも思える税務課です。ここで3年間働きましたが、決して無駄な時間ではありませんでした。地元の農家さんの確定申告を取り扱う中で、農家さんの財務状況が見えてくるんです。業務上、どうしてもそういったことがわかってしまうので。取扱品目やどのような販売をしているかで、売り上げや利益に大きな違いがあることに気づきました。
そこでは、どうすれば自分の思う正しい農業を実践しながら、儲かる仕組みをつくれるのか。農業を財務の面で学んだ大切な時期でもありました。
農業の未来が南三陸にあった
― そして、いよいよ南三陸に…。
目指す農業に足りないものがまだあったので、岩手県一関にある農業法人へ研修に行きましたね。自分には土壌に関する知識が足りないと思っていました。ここでの収穫は、有機肥料や土壌改良のことなどを学び、サイエンスの視点で農業を学べたことです。
そして、改めて農業に向き合っていた頃、転機が訪れました。
5年ほど研修を受けるつもりだったんですけど、妻が南三陸に地域おこし協力隊で就職することが決まったんです。その妻が働く職場の理事は運送会社の社長さんなんですけど、そこの会社で循環型農業を実践していることを知って…、それに衝撃を受けたんです。自分がやろうとしていた未来の農業を、すでに南三陸が取り組んでいたことに。
― そして、運送会社の山藤運輸に地域おこし協力隊として太田さんが(2022年に)就職したんですよね。
山藤運輸に入社して取り組んでいることは、家庭から出る生ごみを使った液肥*1を田畑に散布する事業です。その事業の傍ら、今では米、セリ、果樹も栽培しています。
お米は、町内の田ノ浦地区、大船、童子山下の3か所で栽培してます。
「めぐりん米(ひとめぼれ)」という南三陸のブランド米を育てていて、美味しさも追求しながら、温室効果ガス削減・生物多様性保全など環境にも配慮しています。具体的には、化学肥料を使わず、使う農薬も半分に減らしたり、おたまじゃくしが蛙になるまで待つために中干しを延期したり、畦畔を草刈り機で整備したり。その取り組みが評価されて、生物多様性保全ラベルと温室効果ガス削減ラベルの両ラベルを三ツ星も獲得しました。
さらに、いずれは果樹や森林整備の過程で生まれる剪定枝をつかったバイオ炭やそれを土壌中に埋める炭素貯留もやっていきたいですね。
太田さんの未来への種まきは?
― SEASONの語源は、ラテン語で「種をまく」という意味から派生しています。太田さんにとって、未来への種まきは何でしょうか?
目指すところは、食とエネルギーの課題を解決すること。そのためには、未来への仕組みづくりをやっていきたいです。持続可能な社会を実現するには、自分たちの世代だけではダメで、ちゃんとした仕組みにしていかなくてはならないと思っています。
南三陸の液肥の取り組みは、未来でした。自分が本当にやりたかったことで、先にやられたという悔しさも感じるほど。自分は、さらに液肥の”先”にとなる未来の農業を実現していきたいです。
編集後記
大学のころに出会った農業に魅せられて、紆余曲折ありながら自分の求める農業を追求してきた太田さんは、この町で実現したいビジョンを目を輝かせながら語ってくれました。太田さんが目指す自律分散地域完結農業モデルを確立するために、南三陸町内でいろいろなことに挑戦していきたいと話します。直近では、お米を使った団子屋をつくりたいとのこと。
太田さんの描く未来の農業は、いまの農業の枠に収まらないスケールの大きなビジョンでした。
南三陸めぐりん米をつかった羽根つき焼きおにぎり
太田さんが手がけたお米「めぐりん米」を使ったSEASONオリジナル羽根つき焼きおにぎりはコチラ。
羽根つき焼きおにぎりは、羽根のように広がったおこげがパリっと香ばしいおにぎりです。ワカメや海苔、ひじきなどお米との相性がよい海藻を使用。
*1南三陸から出た生ごみは回収されたあと、メタン菌を使って発酵します。そこで生成されたメタンガスは、電力を生み出し、さらに副産物の液体肥料(液肥)は町内の人であれば自由に使うことができる仕組みです。山藤運輸さんでは、農家さんの田んぼや畑に液肥を散布する事業も行っています。